麻雀におけるオカルトとは経験則であり決して神頼みやジンクス等ではない

こんばんは、オリンピック始まりましたね。コロナ関係なく元々全く興味ない人間なのでとりあえず舞い降りた4連休を満喫している自称麻雀上級者です。

今回はこのブログで最も語りたいテーマの一つを書きたいと思います。ちなみに風林火山オーディション決勝をタイムシフトで見ながら書いています。本田プロ勝たないかなあ・・・

 

皆さんは麻雀においてデジタル派・オカルト派という言葉を聞いたことがあるでしょうか?これらは麻雀に対する考え方の違いとしてよく挙げられますよね。それぞれの違いは一体何でしょうか?

 

まずデジタル派ですが、これは簡単ですね。いわゆる「流れ」なんてものは存在しないと考えており、理論や確率のみに基づいて打牌選択をする人たちです。パイレーツのコバゴー等が有名ですよね。

 

一方でオカルト派ですがその逆で、簡単に言うと「流れ」を意識して打牌選択をする人たちなんですが、具体的にどう考えて選択していくかというところを勘違いしている人が多い気がするんですよね。オカルトという言葉が良くないんですよね、どうしても霊とか神様とかそこらへんがまず想像されるのも無理ありません。

 

では、正しいオカルトの考え方と間違ったオカルトの考え方(バカルト)の具体例を出していきましょう。※オカルト派だけど書いている内容には納得できないという意見もあるかもしれませんが、ここでは考え方の確認として具体例を見てもらえればと思います。

  • 正しいオカルト
    →三面張で先制リーチをしたがカンチャンの追いかけリーチに一発放銃してしまったので、今は攻めるべきでないと考えいつもより安全牌を多めに持つようにした。
    →チーにより欲しかったカンチャンが下家に流れてしまったのが確認できたので、通常は残したいがそのターツは来ないと考え払った。
    →親が連続で満貫をツモっており、その次局三面張でテンパイしかつ先制のためリーチしたいが、今の親とのぶつかり合いは分が悪いと考えたので他家からの出あがりにも期待しダマテンとした。
  • 間違ったオカルト(バカルト)
    →対局前に神社にお参りし賽銭を一万円も入れたので今日は勝てる。
    →今日は6月6日なので、6を待ちした方がツモれる。
    →自分の苗字が西田なので西との相性が良い。

はい、なんとなく違いがわかりましたよね。オカルト派の考え方とは「理論や確率をベースに、麻雀内で発生した事象を自身の経験から解釈し打牌選択を行う」ということなんです。バカルトの方は麻雀と直接的な関係は皆無ですよね。賽銭入れて大事な対局勝てるなら誰でもトッププロですよ。もちろん例えば勝負パンツとかは自身の気を引き締めるという意味はあるでしょうが、勝負パンツを履いたからツモが良くなるということは全くありません。勝負パンツを履いて気が引き締まり最適な選択をできた結果ツモが良くなるというのはあるでしょうけどね。

このオカルトとバカルトの違い、なんならデジタルとオカルトの違いは片山まさゆき先生の「牌賊オカルティ」にわかりやすく書いてますので、7巻で終わりますし未読の方は是非(Kindleにもあります)

 

あともう一つ強調したいのは、オカルトは確率や理論を無視していない(考え方のベースはデジタルである)ということです。実は私は思いっきりオカルト派なんですが、場に安い色は何かとか手出しツモ切りから待ちは何が濃厚かとかいつも考えてます。とはいえ麻雀という不完全情報のゲームにおいて、人間ごときの脳みそでは完全に計算することは不可能です。それができるなら全国のデジタル派の選択は皆同じになるはずですがデジタル集団のパイレーツですら選択が変わることがあるでしょう。そういった人間による計算では判断しきれない部分をオカルトでフォローするということなんです。つまり理想的にはオカルト派はデジタル派の上位互換だと思ってます。

とはいえ先述した通り、そもそもベースとなるデジタルが人間には完璧には極めることは不可能なため、そこに精通しているコバゴーのようなデジタル派のトッププロはやはり強いと思います。私のエムリーグ推しチーム第2位はパイレーツだったりします。キング来シーズンは結果出せよ。

 

ここからはただの愚痴ですが、「流れなんてねーよwww」とかほざいてる似非デジタル派の奴はボコボコにしたいですね。そういう奴に限ってベースのデジタル部分すらおろそかでよくわからないからリーチでいいやとかやってる印象です。私は自称ですが上級者ですので、オカルト派ではありますがデジタル部分についても少なくともこういう奴らよりはわかってると思います。